人文学科の加美甲多(日本中世文学)です。
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せみまる・・・。
彼との出会いは坊主めくりであった。
坊主めくりとは『小倉百人一首』の絵札を使って遊ぶゲームである。当然ながら札は100枚あり、100人の人物が描かれているが、なぜかいつも気になる存在は蝉丸であった。
坊主=僧侶をめくると基本的にすべての札を返すシステムで、坊主に注目が集まりがちとはいえ、在原業平や紫式部、清少納言などはなじみ深いはずであり、坊主なら西行や慈圓(じえん)といった有名な人物もいた。
それでもやはり気になるのは蝉丸であった。「蝉丸」という一風変わった名前と、どこかミステリアスに描かれた札の影響だったかもしれない。
あるいは蝉丸ルールなるものも存在していたことから、古くから蝉丸を特別視する人々がいたとも言えるかもしれない。
当時はこの感覚を説明するのは難しかったが、いま考えるとこれが「推し」という感覚だったのであろう。
数多存在するグループのメンバーからひとりを選ぶ。要は『小倉百人一首』の詠み人は100人の男女混合文学アイドル(歌手)グループで、さらに細分化された12人のグループ僧侶から蝉丸を推したというわけである。
いまと変わらず、誰を推しても自由であり、坊主をめくってはいけない坊主めくりでさえ、推しが登場すれば自ずとテンションは上がるのである。
坊主めくりで戯れていた頃から、はるか未来に蝉丸を授業で取り上げたり、論文に書いたりする日が来るとはまったく想像していなかった。蝉丸の詠んだ『小倉百人一首』10歌は
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
であり、難しいことを抜きにすれば、人間の出会いと別れをダイナミックに表現している。
彼は琵琶法師や説教師の世界でもリスペクトされ、現在の滋賀県には蝉丸神社や関蝉丸神社など、音楽や芸能の神様として彼を祀った神社もあり、神格化されている。いわば推しの聖地巡礼も可能なのである。坊主めくりから始まった推し活はどこまでも奥深く、果てしない。
坊主めくりと同じく、かるたも『小倉百人一首』から誕生したゲームである。それが競技かるたという札を取り合うスポーツのような勝負にまで発展した。
自分にとっては競技かるたで蝉丸の札を取れたときのうれしさや楽しさは特別なのである。どの世界でも推しのいる生活は楽しい。あなたもかるた部で推しを探し、その推しの札を取る爽快感を味わってみてはいかが?
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